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La prima pagina  di "ITALIA e SVIZZERA ; estate nel 2000"
1: da NARITA Aeroporto a ZURIGO 2: da ZURIGO a ST.MORITZ 3: a MILANO con "BERNINA EXPRESS"
4: MILANO 5: da MILANO a VERONA 6: da VERONA a VICENZA
7: da VICENZA a VENEZIA 8:  VENEZIA 9: Arrivederci ITALIA !!

第4日:ミラノ滞在 il quarto giorno: MILANO


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←ホテルからブレラ絵画館へ歩いたが途中、曲がり角を間違えて迷子になってしまう。適当に歩いてみようと、ぶらついているうちに出くわした色彩あふれる八百屋さんの店先。 ←La Cappella della Madonna del Carmine 、日本語で言えば、「カルミネの聖母礼拝堂」と言ったところか。あまり有名とは言えないが、落ち着いた雰囲気があった。
(372KB)ホテルの窓辺に聞こえて来た鐘の音。行き交う自動車の騒音と、路面電車の通り過ぎる音も聞こえる。(左写真の教会の鐘の音ではありません。)
La Cappella della Madonna del Carmine の中の円蓋の一つ。周辺部の装飾が見事。→ La Cappella della Madonna del Carmine の中のステンドグラスの一つ。→
←ブレラ絵画館の入り口。今は別の入り口が使われる様になったのか、ここは閉鎖されていた。 ←ブレラ絵画館の中庭を囲むようにある回廊2階から、中庭の像を眺める。
ブレラ絵画館の入館チケット(8,000リラ)と案内のパンフレット。入り口は2階にある。→ La predica di San Marco ad Alessandria d'Egitto ; Gentile Bellini , Giovanni Bellini に見入る見学者。→
←有名な「死せるキリスト」(マンテーニャ)。
Cristo morto e tre dolenti ; Andrea Mantegna ; Isola di Carturo,Padova,1430 c.-Mantova 1506
←スフォルツァ家の居城、スフォルツェスコ城。
スフォルツェスコ城内には市立博物館がある。その中を見学しているうちに、ふと窓のシルエットが心に沁みた。窓外を埋め尽くす蔦の緑が印象的。→ スフォルツェスコ城内の市立博物館で、これだけは見なくては!と、思っていたミケランジェロ最晩年の作品、「ロンダニーニのピエタ」。未完成と言われながらも、その後450年もの間に作られた他の多くの「完成された」諸傑作よりも、今なお人々をひきつけている。「芸術」って何なんだろう?→
←「ロンダニーニのピエタ」のコーナーに置いてあった英文の解説。 ←ミラノに行ったら見ておくべき、もう一つはレオナルド・ダ・ヴィンチの"L'Ultima Cena"「最後の晩餐」。ここサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の修道院食堂の壁画として描かれた後、部屋が馬屋として使われたり、第2次世界大戦の爆撃から奇跡的に救われたり、数奇な運命をたどりながらも、今は丁重な修復を受けながら安住している。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、それ自体がミラノのルネサンス様式を代表する教会。ブラマンテの古典主義がよく表われていると言われる大円蓋。→ 大円蓋に続く教会内陣。ブラマンテ設計。テラコッタ、ストゥッコ、線刻画によってロンバルディア地方独特の装飾性を示しているそうだ。→
←レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館の入り口。 ←レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館の入館チケット(12,000リラ:10,000リラと印刷されたチケットに12,000のスタンプ)と案内のパンフレット。
彼の残した解剖図や、考案した諸機器類の模型を展示してある。一つ一つの模型の前で腰を下ろして、幼い少年にその解説をしている父親が印象的であった。→ サンタンブロージョ聖堂は9−12世紀に再建されたロマネスク建築の典型。ミラノの守護聖人である大司教アンブロージョを祀る。→
←サンタンブロージョ聖堂の外壁に掲げられた「サンタンブロージョ広場」の標識。 ←サンタンブロージョ聖堂の天蓋の一つ。
主祭壇は宝石や七宝で飾られた黄金祭壇と、その上のキリストと聖アンブロージョの伝説を金色の漆喰で描いた祭壇天蓋よりなる。→ ミラノのホテル、GRAND HOTEL ET DE MILANの受付嬢、カッチャ・ファンデンボッシュ嬢。にこやかな応対と、我々のプレゼントの手作りの貝がら入り根付をすぐに胸元にぶら下げてくれた愛嬌が忘れられない。ロシアは旧レニングラードから来た、と言う。 →
←ホテルの受付で近くのレストランを尋ねると、コンシェルジュのファビアーノ君と相談して教えてくれたのが、近くの裏通りにあるTRATTORIA DELL ORSO。男3人が飲んで食べて満腹になって、しめて346,000リラ、18,000円近く。カルパッチョ、ズッキーニの花の料理など、イタリアならではのものを頂いた。 ←TRATTORIA DELL ORSOで飲んだワインのボトルを持ち帰ってはがしたラベル。有名なバルバレスコ。昼間、買っておいてホテルでの再度の酒盛りに飲んだビールは、これまたイタリアのビールでは有名なビッラ・モレッティ。

『イタリア・スイス写真紀行・2000年夏』トップ
第1日:成田からチューリヒへ 第2日:チューリヒからサン・モリッツへ 第3日:ベルニナ急行でミラノへ
第4日:ミラノ滞在 第5日:ミラノからヴェローナへ 第6日:ヴェローナからヴィチェンツァへ
第7日:ヴィチェンツァからヴェネツィアへ 第8日:ヴェネツィア滞在 第9日:イタリアを去る


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