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←ヴェローナ駅で走り抜けるのを見た流線形の特急列車。 |
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←ヴィチェンツァ駅に着いた我々を迎えてくれた、F嬢の父君が先ず連れて行ってくれたのは
Monte Berico 教会の前に広がるPiazzale della
Vittoria 。この広場からは、あいにくの薄曇で当日は臨めなかったが遠くはアルプスの山並みが、近くはヴェチェンツァ中心部の殆どが見えると言う。写真のほぼ中央に見えるのは、16世紀イタリアの偉大な建築家パッラーディオの最初の傑作バジリカ。 |
| モンテ・ベリーコ教会堂の北側ファサード前のPiazzale
della Vittoria で、F嬢の名付け親フォックス爺さんと我が家の2・3男。→ |
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モンテ・ベリーコ教会堂の南側ファサード。→ |
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←モンテ・ベリーコ教会堂の英語版パンフレット。中で展示されている、VeroneseやMontagnaの大作を紹介してある。 |
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←1997年夏にヴェネツィア、マルコ・ポ−ロ空港で会って以来、メールのやり取りもしている、F嬢。モンテ・ベリーコの後、訪ねた彼女の自宅にある、彼女の肖像画の前で。 |
ヴィチェンツァは、天才的なルネサンスの建築家パッラーディオAndrea
Palladio(1508-1580)の造った宮殿があふれている町と言う。その町を案内してもらう筈だったのに、「家の裏にはキノコ取りによく行く山がある」との、F嬢の父君の話から、ちょっと歩いて散歩でいける範囲と思った我々は「山」へのご案内をリクエストしてしまった。
2時間ほどのドライブで着いたのは本当に「山の中」。アルプスの入り口に当たる様な所であった。Malga(羊飼いの夏場の山小屋)があって、牛が放牧されていた。→
(123KB)放牧されている牛のカウベルの音。 |
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駐車した後、F嬢の父君のご案内で、ミニハイキングにでかけた。ヴィチェンツァの町は快晴なのにドライブの途中、雨が本降りになり、天候の変わりやすさも、ここが相当の山の中であることをうかがわせた。父君は、ハイキング中にも変わりうるからと、傘を持って歩き始めた。→ |
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←幸い目的地は、快晴とは行かないまでも、薄曇程度であった。ハイキング道の傍らに立っていた看板の前で。 |
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←切り立った岩肌を、ロッククライミングする人がいた。わずかに服やヘルメットの赤色が見える。 |
| その岩肌の下で、いかにも山歩きを楽しんでいる風情の初老の方と出遭った。この後、少し歩いて見晴らしの良い場所に行ったが、薄曇で残念ながら北イタリアの山並みは見えなかった。父君の話では、第2次世界大戦の壮絶な戦闘地になったちいきである。→ |
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スイスのハイキングコースには案内標識が完備していることで有名だが、イタリアにも分かりやすい標識があった。→ |
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←お宅に帰る途中、F嬢の母君のご両親のお宅に寄った。家に隣接して広いブドウ畑を持っており、蔦からもぎとったばかりの新鮮なブドウを食べさせてもらった。写真はF嬢の祖父君と。 |
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←お宅に帰るとF嬢と母君が夕食を用意してくださった。トウモロコシの粉を練り上げて作る北イタリア特有の家庭料理ポレンタを含む、種々の手作り料理と、ワインをいただいた。食後にクレープを作ろうと用意を始めたママとF嬢。
(312KB)一生懸命、イタリア語のちょっとしか通じない我々と1日中、お付き合いくださったパパの一言。
(239KB)3年前の夏以来メールでお付き合いしているF嬢の一言。 |
| →8月15日からの祭日 Ferragosta のため、8月12日の今日も、町の広場に、屋台が出てバンドが音楽を奏で、ダンスの輪が広がる祭りがあるとの事。連れて行っていただいたが、老若男女いずれもが楽しそうに集っていた。 |
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